さらば中目黒 2009.04.20 天笠富夫 平成13年1月に、N社の100%小会社ND社から、銀行へのサービス専門会社C 社へ出向になり、勤務地は中目黒の銀行になった。 <N社の環境> N社は、全国規模で各県に工場を造り拡大をしていたが、国際分業化が進み、人件費が 1/10〜1/20の中国・東南アジアに本格的に生産拠点を求め、物づくりの中心を海 外に移動させ、都市近郊にある工場を閉鎖し人件費の安い国内の地方へ移した、地方でや っていた仕事を海外に移すために、都市近郊及び地方工場の配置を見直し始めた。ND社 は、事業規模は売上げ年間500億円で利益もずっと計上していたが、場所が都市近郊に あり閉鎖することになった、その結果、退職者を募ったり、他の会社へ出向したり、仕事 と一緒に地方工場及び東京近郊のサービス業種等に入ったりしてND社は分散された。
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銀行でまず感じたのは、企業文化の差である、営業室の机と机との間が狭く動くのも 大変だ、ゴミ箱を見ても木製のゴミ箱で上から書類等が直接入らなくなっており、ゴミ も脇から入れ、必要に応じて椅子替わりにもなる優れものである。とりあえずND社の 定年まで(3年半)ここで働こう、その後はまた考えようとその時は思っていた。
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職場は娘より若い人が沢山、胡散臭い60歳近い男が入ってきてコミュニケーションが円 滑にできるのか、しかも課長は女性のM課長、今まで女性に使われた事もない男を使う課 長も大変だなあと同情していたが、一年前に入社したTさんの「おはようございます」と のさわやかな一声に、そんな気持ちを変えさせてしまった。ともかく余計な事を考えない で自然に受入れて働こうと決めた。仕事の内容は当初、ATMを中心のロビー案内であっ た。先輩がいたが銀行での庶務行員が退職するので、その後釜として働く予定で引継を 受け庶務行員の仕事する時難しいので、私に替わってほしいと言われ仕事を替わった。そ の後出向期間も切れ平成16年にND社が定年になったが、ともかく年金が全額もらえる まで頑張ろうと決意を新たにしてC社に転籍した、その後平成19年に支店統合(別の 場所へ引越し)が行われ、年金も全額もらえるような資格を取得した、職場環境が良く 働いているのが楽しかったので継続して働いていたが、銀行の都合で平成21年3月末 をもって他支店に異動することになった。
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異動で残念な事は、職場の側にアトラスタワーという45階建ての建物が造られている、 完成時期と私の第二定年と同じ時期だと想ってよく見上げていたが、この場所で完成 した姿が見られないことです。 思えば、職場は本当に明るく・楽しい良い環境でした、職場のまわりの人を見ると、女性 の能力の高さには舌をまく、ロビーまわりの人をみると、男性はあまり魅力を感じなかっ たが、女性はそれぞれの立場で、「趣味・子育て・親の面倒」など仕事と家庭を両立させ ている逞しさを感じて、いつも刺激を受けていました。 特に印象的なのは、よく旅行のはなしをするNAさん、NHK大河ドラマの篤姫の話を するHAさん、わざわざ屋久島の縄文杉の写真をもってきて見せてくれたNOさん、いつ も世話になっているまとめ役のUさん・毎日しゃれた帽子をかぶって寺まわりが好きな HIさん・慎重に冷静に対応してくれるお孫さんのいるMさん・英語が上手で子育てが 大変なTさん、 真正面から等身大で、本音を言いぶっかってきた行員の方々、いろんな話をして本当に楽 しかった、だが話の中には面白かった事、悩んでいることなどがありますが、悩みは私を 含め生きている限り悩の種はつきないように思われます、共にうまく悩みとつきあってい きましょう。
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皆さん、お世話になりました、どうもありがとうございました! (書き足りない事も多数あり、割愛したことをお詫びします) ―――おわり――――― <追記> 朝の通勤時、東横線に乗って本を読みながら座っていると、中目黒と車内放送がある と、降りようとして急に立ち上がってしまいます、習慣とは恐ろしいものですね!
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